2006年10月23日
自分との葛藤の日々 その②
「一人で子育て」
子どもができてから、全く考えていなかったことでした。
もう、二人ともある程度の年齢になっていたので、身の回りの世話をするということはありませんでしたが、精神的にとても微妙な年齢だったので、その方が心配でした。
”「自己信頼」を全く無くして、自分を責め続け、泣き続ける母”と
”家族への「無視」と母への言葉の暴力を急に出し始めた父”
こんな状態で、半年以上も逃げ場のない状態にいた子どもたちの心は、目に見えて段々と荒んで(すさんで)いきました。
その頃の私は、自立していない大人の典型でした。
父親から、家庭環境から逃げるように結婚した20代前半。
彼は、理想の男性というより、私の理想とする父親像といった方が正しかったのかもしれません。
一度も父親に甘えたり心から楽しいと思って遊んでもらったことのない私にとって、子どもと遊ぶ彼の姿は、何よりの安らぎだったのだと思います。
そんなインナーチャイルドを抱えた私は、いつのまにか彼の「子ども」になっていました。
彼は、そのことにいつからか、危機感を覚えていたのでしょう。
話し合いで解決する時間も余裕も持てないまま、「爆発して別れる」という最悪のシナリオによって、幕を閉じることになったのです。
子どもたちは、そんな両親の心の葛藤を理解できるでもなく、誰にも相談できず、自分の中で溜め込んでいきました。
親に気を遣って、表面的には普通を装っていましたが、そのけな気な姿に胸が痛む日々でした。
多くの問題を抱えたまま、子どもたちと私は、帰国となりました。
お金も仕事も帰る家もなかった私たちは、実家にお世話になりました。
そして、その日から、子どもたちとの身体をはったバトルの日々が始まったのです。
子どもができてから、全く考えていなかったことでした。
もう、二人ともある程度の年齢になっていたので、身の回りの世話をするということはありませんでしたが、精神的にとても微妙な年齢だったので、その方が心配でした。
”「自己信頼」を全く無くして、自分を責め続け、泣き続ける母”と
”家族への「無視」と母への言葉の暴力を急に出し始めた父”
こんな状態で、半年以上も逃げ場のない状態にいた子どもたちの心は、目に見えて段々と荒んで(すさんで)いきました。
その頃の私は、自立していない大人の典型でした。
父親から、家庭環境から逃げるように結婚した20代前半。
彼は、理想の男性というより、私の理想とする父親像といった方が正しかったのかもしれません。
一度も父親に甘えたり心から楽しいと思って遊んでもらったことのない私にとって、子どもと遊ぶ彼の姿は、何よりの安らぎだったのだと思います。
そんなインナーチャイルドを抱えた私は、いつのまにか彼の「子ども」になっていました。
彼は、そのことにいつからか、危機感を覚えていたのでしょう。
話し合いで解決する時間も余裕も持てないまま、「爆発して別れる」という最悪のシナリオによって、幕を閉じることになったのです。
子どもたちは、そんな両親の心の葛藤を理解できるでもなく、誰にも相談できず、自分の中で溜め込んでいきました。
親に気を遣って、表面的には普通を装っていましたが、そのけな気な姿に胸が痛む日々でした。
多くの問題を抱えたまま、子どもたちと私は、帰国となりました。
お金も仕事も帰る家もなかった私たちは、実家にお世話になりました。
そして、その日から、子どもたちとの身体をはったバトルの日々が始まったのです。
Posted by 山羊 at 17:02│Comments(0)
│流れ